花と邂逅

小・中学校を不登校と保健室登校で過ごした自分を振り返ってみます。

     ▷  小・中学校を不登校と保健室登校で過ごした自分を振り返ってみます。社会不安障害、元・起立性調節障害です。

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こんばんは。久しぶりにこちらをチェックすると昔の記事にコメントを頂いておりまして…!!!また余裕のあるときにお返事させてください、検索からきてくださり、また貴重なお時間とお気持ちを使って読んでコメントまでくださって本当にありがとうございます、あなたのコメントに、自分の同じように悩んでいる方がいらっしゃるのだと感じて私が救われております…!

 

 

4月から新社会人として働き始め、6月になった今も辞めることなく頑張っています。少し慣れてくると自分ができないことばかりが見えてきて、本当に頑張れているか、できているのかが判らず実力不足に落ち込む毎日ですが、なんとか朝に起きることはできています。

働き始める前に一番心配だった「人の目が気になる」は今も続いていますし、むしろいくらカウンセリングを続けてきても、それはその場限りの気持ちのリセットで、新たな人間関係に関しては改善などしていないのではと思うこともありますが、そんな“どう見られてるかな”‘“嫌われてないかな”“邪魔だと思われてないかな”などの気持ちを抱えてなんとかギリギリで戦いながら働く毎日を繰り返しています。仕事辞めたいです。自分はどこにいっても自分でこうして緊張して自分を潰して、他の人と同じように社会で働くことができないのではないのかと考えることもあります。

最近は疲れも重なって、明日も頑張る!今日はこれを頑張るぞ!という気力が弱くなってきました。だけどまずは生きて、命に危険が及ぶほど嫌な仕事ならやめようと考えています。マイナスなことばかりを考えているようですが、やめようという選択肢が自分の中に増えただけでも以前の自分と比べるとかなりの進歩だと思うのです。

この2ヶ月で楽しくなったことといえば、お給料がある!ということで今まで以上に好きなものが買えるようになったことですね!ちょっといいスイーツを、服を、コスメを、漫画を!と好きなものを選ぶ時間はとても楽しいです!ライブや舞台はなかなか観に行けなくなりましたが、最近は東京リベンジャーズにドハマリして漫画からアニメから、7月には実写映画も公開されるのでそれを楽しみの糧としてなんとか毎日生き抜いています!

 

今もこちらを見てくださっている方がいらっしゃるかはわかりませんが、4月から自分と同様新たな環境に身を置かれる方もおられると思います。

しんどいことがたくさん続くこともあるし気を張って家で潰れて、休みも動けないなんてことが今も続いているかもしれませんが、(かく言う自分もそれです)こちらに来てくださるあなたのことだから毎日とても頑張っているのだと思います…!どうかなにかが起こっても自分を攻めず、家に帰ってきたえらい!と出来たことを考えて、少しでも楽しいな、楽だなと思うことを選んでいってください。選ぶこともしんどいときには、嫌な気持ちにならない場所でぼーっと座って、寝て、どうかご自分の回復を最優先にしてほしいです。本日も一日よく頑張りました、お疲れさまでした☺

 

明日も仕事頑張ってきます!ぼちぼちに、です!

ささめ

 

 

 

こんばんは。新年度になりまして、自分も新入社員として働き出しました。自分の職種はきちんとした研修があるわけではなく現場にいきなり入って覚えていくといった形なので、毎日とてもしんどいです。仕事は暇なのと何をしたらいいかさえわからないときがいちばんしんどいね。

慣れたら大丈夫だよってどなたからも言われますが、何も知らない慣れない環境に慣れるまで毎日緊張しながら気を張りながら一日を過ごすということを考えると、自分にとってはそれがとてつもなく難しい事のように思います。毎日おなかが痛くなるような緊張で精神薬を飲んで出勤するって、そこまでして働かないといけないのかと思うときもあります。

こういうふうに、薬を飲んで無理してまで社会に出なくてもいいのではないかと思うときと、社会の一員であろうとする働かねばという思いが自然にあるときと、いろんな感情がせめぎ合っています。

よく考えたら、今まで生きてきた中で自分が緊張を和らげるように薬を飲んで学校に行って世の中に出ていることを、自分の家族とカウンセラーさんとこのブログを見てくださる方しか知らないのです。社会不安障害で、なんて表に出すようなことでもないけども、こうして自分が緊張して寿命を縮めるような思いで日々重ねていることは、他人からは見えないのです。それがとても悔しく思います。

 

 

 

 

すごくすごくとてつもなく調子がよくない。人と話していると、人と同じ空間にいると惨めな気持ちになって居心地が悪くなります。時と場合によるけど、今すぐここから離れたいとか、自分がここにいてすみませんって気持ちです。あまり気持ちのいいものではないな。今お布団に横になっただけで涙が止まらなくなってきました。今年度自分は国家試験を受けるのですが、おそらく授業が忙しすぎて合格!みたいな激励がプレッシャーになっていて、休む暇もないままに次の課題課題授業で積み重なった疲れとか、歪んだ見方がもとにもどらないままさらに歪んでしんどくなっているのだと思います。まさにブラック企業と同じ仕組みだなあ。やはり休息はなによりも必要なものだと痛感しています。

数日前までは生きることがとにかくしんどくて、それは今もだけど、今日からはそれよりも人と一緒にいることがしんどい。相手を気遣う余裕も余白もきっとないから、しんどいのだと思う。それでも人の話を無下にすることはできない。ましてや、自分の話をすべて他人に吐き出すわけにもいかない。最近カウンセリングに行けていなくて、さらに心療内科の薬もすべて使いきったからおまもりみたいな存在が今の自分にはない。こうして文字は書けているからまだ大丈夫なんだとは思う。次、なんか自分おかしいなって思うタイミングがあったら、すぐに休む。半日一日お休みして、この先しばらくを生き延びられるなら安いものだよなと思うことにします。

 

 

 

こんばんは。

調子が悪い日が続いていますが、毎日大学に行って頑張っています。最近は朝の早起きが続いてるからか、朝起きてからの緊張がすごいんだなあ。

感じとしては心臓がひやっとするよりもずっとどきどきしてる感じ。大きな落ち込みというよりも全体的に下がっていて、鬱というほうが近いかも。先週辺りから体調崩してバイト早退したり怪我したり、ぼーっとはしてないけどいろいろ重なるような時期です。

 

とりあえず今のメモ

人とは話せてる、電話はできる、提出物は後回しでぎりぎり、片付けはできない、小説は読めない、漫画は読めるけど内容はあんまり集中できないから微妙、音楽は楽しくきけてる、勉強はできる、日中は眠い、人と話はあんまりきいてない、教室を前から入るときとか人目を気にしてる緊張する、約束を直前にキャンセルすること多い、生きる気持ちがない、来年4月の自分を想像できない、来年生きてる気がしない

 

あと最近の動いたこと楽しかったこと!

刀ミュ幕末天狼傳のライビュがよかった!!前と曲がかなり違ってて、特に1部のお芝居のほうの加州と安定の猫ちゃんの曲とか堀川くんのお手伝いの曲とかかわいくて最高でした!

あと鬼滅の映画を2回観に行きまして2回ともぼろ泣きでした。その少し前にfateの映画も4dxで見に行ったのですが、やっぱりufoの戦闘シーンすごすぎて!!もちろん話でもなんだけどufoの作品は戦闘シーンが格好よすぎてすごすぎてEDでなくいつも戦闘場面で泣いちゃうんだな……映画のときにはやっつけろ!って煉獄さん100%で応援していますが、自分は猗窩座が好きです。

あとはプロジェクトセカイという音ゲーをはじめまして、楽しいです!久々にスマホゲーム入れたのに加え、曲がボカロPさんのばかりだから世代で嬉しいな~~いつのまにかニコニコをあまり開かなくなっていて、時の流れの寂しさを感じました。

あと今期アニメは呪術がすごい!!OPは1話からずっと飛ばさずにみているくらいに好きです。あれほどハマったの久しぶりな気がします。主題歌のMVも公開されましたがあれ公式MADっていわれてるの心底同意で最高でした!!!オシャレOPED大好きだ~~~!!久々にBLEACH読みたいみたい。

それとkey作品!神様になった日、毎週楽しみにしています。これもOPが最高なんだな~~

まだまだあるけど眠気が限界なので眠ります!

おやすみなさい

 

□ ものの考え

 

疲れると、やめるということがとても難しくなる。考えが狭まって、すべてを終わらせることしか手段がないように思えてくる。

すごく嫌なことがあった。これがあと数日続く。心細くて不安で嫌すぎて家で大泣きしながらもう行きたくないと思ったときに、嫌なところに行きたくない→ここに行かないと大学で困ることになる→なら大学をやめるしかない→大学やめたら困るじゃんやめられない→死ぬしかない、という考えが頭のなかで元からあるべき流れのように違和感なく淀みなく繋がった。1秒足らずでこの結論にたどり着いた。

疲れたときはよくない。人に悩みや愚痴を話せるうちはまだ元気が気力が、というよりも生きる余力があるのだと思う。昨夜の自分は人とものを話せず、人の話に相づちをうつこともできない笑えない、集中ができずに相手がなにをいっているのかわからない、とにかく、死にたいどうこうよりも人の形を保つだけで精一杯だったように思う。

生きているだけで場所をとるしお金はかかる。望んでいないのにどうしてここまで頑張りながら生きなければならないのかと思う。最近、ただただ生きていることに疑問がわいてくることが多くなった。生きる気力がないのに生きててもなって感じ。なんで生きてるのかって本当に疑問に思うだけで、死にたいなあとか深い意味はないけど人とは話辛い話題だから、答えがみつかることはない。

閑話休題

ともかく、疲れると正常な判断ができなくなることを実感した。ブラック企業で働き詰めになって、会社を辞めるのではなく自殺を選ぶ方の気持ちがよくわかった。気持ちがわかるというよりも、選択肢がそれしかないという感じで当たり前のように死を選んだような感覚だった。

「むしゃくしゃしてやった」もこれに当てはまるのかもしれないと思った。

 

自分の人生に目標が見いだせないだけでこんなに生き辛く疲れるなんぞ不公平なものだと思うよなあ。ほんとう休息は大切だよ。

 

□ 人に揺らされるとき

 

先週辺りから調子がよくない。なにかをやらかしてしまったというより、人に対してすごく敏感になって、いつもなら流せるようなことをひとつひとつ真に受けてショックを受けてるような感じです。

例えば母に部屋片付けてとか文句をいわれただけでぐわって怒りがでてきたり、泣きそうになったりします。あ、気持ちが乱されたって瞬間がすごくわかる。すごくうまいことバランスを保って100%になっていたのが、元気なときなら80.60%で留まるところが、調子がよくないときにはひとつの出来事で0%になる感じ。

言い方わからないけど物で例えると、足場がしっかりしたものじゃなくてすっごく細いロープになったとか、自分を支えているものが太い丸太から割り箸になった、みたいな、そんな感じ。

とにかく、「折れたな」って瞬間がここ毎日あって、実感もある。気持ちが揺れて、勉強してたりしてももういいやって全部放り投げてしまっています。落ちた分を回復しないと物事に向き合う気にもならないです。

改善策としては、とにかく原因のものを遮断すること。いつもより歪んで何倍にも勝手に悪意を増やして自分が受け取ってしまっている可能性もあるから、まずは

①聞かない ②見ない ③その場を離れる

こと。それから、回復のためには音楽をきいて、時間がたつのをまって、好きなものをみること。他の家族に文句をきいてもらうことも試したけど、「それはあなたが悪い」なんて相手に自分が求めていること以外の、しかも逆効果なことを言われてもっとギャーってなってしまったこともあるので話す人は選んだ方がいい。

あとは、今日はこの敏感な傾向が強いからなにかあるまえに、緊張する用事がなくても薬を飲むようにしました。飲んだってだけでも楽かな。とりあえず、焦らず自分のペースで堂々としたい。

 

□ ははというもの

 

母と会話をすることが難しくなりました。何年か前から母はひとりの人だと感じるようになり、そのときに考え方はあんまり合わないなと思っていましたが、最近はよりいっそう。

話しかけてもスマホばかり見て顔も上げないし、反応も相槌のみ。疲れているんだなって思うようにしているし実際にそうなのですが、妹が話しかけると楽しそうに会話をします。おそらく、話の内容だとか声のトーンで受け入れる話を判別してて、深く考えないで済んだり自分の意見を求められない一方的な報告の「友達と○○したよ」「今日こんなことがあったよ」の話だとか、これをした!楽しかった!の楽しくはしゃいだ雰囲気のものは母も聞くことができるんじゃないかと。そういうふうに見ていて感じました。人の恋愛話とかね。妹は天真爛漫という言葉がぴったりの人だから、話で人を楽しくさせることがとてもうまいです。

対して自分は考える話が大好きです。「こんなことがあったよ」の終わった事実より「これはどんなことがあってこうなったのかな?」「こうなった結果について自分はこう考えたけど母はどう?こっちを選んでたらどうなる?」みたいな掘り下げた、まだ見ぬ可能性を想像する話が、人との間に起こった楽しい嬉しい出来事の報告よりもなによりも楽しいのです。人との関係についても「友達と遊んで楽しかった!この子やっぱり好き!」より、「友達がこのときこうしたの、そういう風に考えてて人が思いやれるところがあるから自分も一緒に居やすくて好きなの」というふうにしか話すことができません。それは自分の良さでもありますが、母には合わず、互いに重荷になるのです。

「友達とこんなことがあった、たいへん!母どうすればいい?」妹は自分についての話をできるのに、「こんなことがあって、そのとき自分はこう感じた、あとから良く考えたらそれはこうだったからだと思うんだけど、でも頑張れたと思う。母はどう思う?」自分の話は聞き入れてもらえない伝わらない。

意味を理解してもらえるもらえないの前に、話を聞いてもらえない。疲れた母は自分の声を話をそもそも聞こうとしない。受け入れないというよりも、受け付けていない。

 

話はかわりますが、自分は心理カウンセリングに中学時代から通っています。高校、大学に進むにつれ相談場所も先生も何度か変わり、現在も含めると計5人の先生にお世話になりました。その過程で2度、2人の先生より、もうカウンセリングは必要ないねと言われたことがあります。面談のなかでいきなりです。先生のなかでは徐々にであっても、自分にとっては死刑宣告のように唐突でした。

ひとりで社会に、知らない場所に放り出されたような気持ちになりました。緊張しながらもいろんなことができるようになった、という自分の状態が良くなったことでそう伝えられたのだとはわかりますが、自分には自分の考えをまとめられる、受け入れてもらえる場がないのです。外で緊張したことを家に持ち帰り落ち着いて考え、どうして緊張したのか、次はどうすればいいのか、これを長年ひとりで抱えるのはとても苦しいことです。だから、他の人はこういうときどう思うのかな、自分は頑張れたのかなって確認する吐き出し場が定期的に必要だけど、母には重く深いからしんどいと受け取ってもらうことができないため、家で発散することはできず、結果カウンセリングの場でしか自分の根本についての話をすることができません。これはいくら仲の良い友達といえど、きょうだいと言えどもできない話です。

やはり、自分には吐き出す場所が必要なのです。家でそれが望めないから始めたこのブログだったりカウンセリングだったりですが、それらのおかげでなんとか今も壊れずにいられている気がします。

最後に、母は悪い人ではありません、弱いけど、ひとりで娘を育てているとても強い人です。自分は母みたいにすごい人にはなれません。それでも母と自分は家族であれど他の人であり別の人間なので、自分のことは自分で支えるしかないのです。

また要領の得ない話になりましたが、なんとなくでも伝わることがあって、わかる人がいらっしゃいますと嬉しいです。