花と邂逅

小・中学校を不登校と保健室登校で過ごした自分を振り返ってみます。

     ▷  小・中学校を不登校と保健室登校で過ごした自分を振り返ってみます。社会不安障害、元・起立性調節障害です。

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□ 考える

普段から気になることを解消するため、自分で落とし所を見つけよう!ということでいろいろ順序を辿って考えごとをします。
BGMは気分をあげようということでlumoさんのスーパーハイ!で!!はいになってーはいになってー、は自分には、ハイになってー灰になってー、と変換されるんですがみなさんはどうなんでしょうか。



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∥ イライラしたこと

祖母が語頭に「すみません」と言って自分に話しかけてくること。「すみませんお風呂沸きました」「すみませんこれ教えてくれる?」とか。


∥ そのときどう思ったか、なぜ嫌だと思ったか

自分が悪いことをしたように思って嫌な気分になった。祖母に敬語を使われるのは、まるで機嫌をとられているようで嫌だった。
イライラしているときに弱気な人や下手に出る人と接するとそれに対してまたイライラしてしまう、という人の気持ちがすごくわかった。


∥ 祖母はなぜそうなのか

祖母には亭主関白の祖父に謝る癖があって、それがとれなくなってしまったのだと思う。今までは孫の自分にまるで下手に出るみたいに謝ったり敬語になったりすることはなかったけど、年を重ねて祖母も頭の回路が昔のように回りにくくなった為か、祖父と孫に対しての切り替えができなくなっているのかもしれない。
祖父の身の回りのことは結婚当初からずっと祖母が世話をしており、料理も材料を切ってすべて用意したところまで準備してもらわないと作れないしアイロンも掃除もきっとできない、亭主関白のイメージそのままの人。祖父はお酒を飲むと手を上げこそはしないけど横暴になって文句を言い出し祖母にあることないこと言って絡み出すので、祖母は「はいはい」とか「すみませんね」とか言って軽くあしらう長年の癖がこびりついて抜けなくなったのだと思う。
こういう背景を見てみると祖母はなにも悪くないと思えるものの、やはりその対象が自分になるとすみませんと言うことにイラっとしてしまう。

あと思い浮かぶのは、自分が思春期になって、今日は何時に帰るの?とかどこにいくの?とか祖母の干渉ぶりが鬱陶しくて、反抗したり無視したり突っ張った態度をとるからそれが祖父に被って敬語を使われるのかもしれないということ。
強い者には下手に触れず、みたいな。


∥ 自分はどうしたいか

とにかくイライラしたくない。受験前で変な悩みは持ちたくないし、常に穏やかでありたい。
その為には足音が聞こえたり姿が見えるだけで精神がマイナスに揺れる祖母とは接したくない。けど、悲しませたくもない。


∥ 具体的になにをするか、なにができるか

祖母とあまり関わらないようにする。でもこれは普段からしていることであって、家にいる限りずっと無視はできないし、自分の時間がほしくて勉強するから話しかけないでと言ってもすぐに忘れて「なにか食べる?」と何度も訊かれるしそのあとに「あっ話しかけたらだめだった」と一人言のように必ず呟くのがまた気になって耐えられない。
あとは、祖母は変わらないから、自分が流す。自分もひとつひとつを気にせずなんにでもはいはいと答えていれば楽になるかもしれない。
祖母をかわいそうな人だと思う。祖父のせいでこうなって、祖母はただの被害者なのだと考えると自分には受け入れる余裕ができるかもしれない。

これらから書き出すと、

・祖母を避ける
・話を真に受けず流す
・祖母を年だと考える
・日中はずっと外に出るとか、一定の距離をあける

こんな感じでしょうか。
できるだけこれらのどれかを思い出して、気持ちを一定に保つため頑張ってみようと思います。頑張る!と意気込むとその通りにならなかったときにそれでまた心がグラッとなるから、気にせず、なにかが起こりそうならとにかく受験が終わるまでは逃げること。
最終、どうしようもなければ家を出ることもできる(祖父母と離れられる)と考えてやり過ごすこと。



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事実と現状と要因と解決(?)策にわけて考え事をしてみました。頭のなかで勝手にイライラしているよりは、明らかに多方面から見えることがあって考えはまとまったかなあという感じです。スッキリしたかはしばらくすればわかるかもしれないししないかもしれない。
問題はなにかを変えることですぐに解決することはなく、その人の考えや性格や行動や環境それに人生までが絡まって、解決するどころかひたすら悪化していくこともあり得ることを身をもって感じています。この場合はたぶん悪化していく一方で、終わりは別居か死しかないんだろうけど、自分がこれからどう変わるかにより人生は楽しいものにもなるのかもしれません。どちらにせよ今まで生きてきて、灯りを見出だせないことはひとつもなかったので今回もそれだといいなあ。そう考えると幸運な人生です。