花と邂逅

小・中学校を不登校と保健室登校で過ごした自分を振り返ってみます。

     ▷  小・中学校を不登校と保健室登校で過ごした自分を振り返ってみます。社会不安障害、元・起立性調節障害です。

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自分をみつけなおす話

 

こんばんは。お元気ですか?私は元気です。コロナ、すごいですね。大学も教室で新学期を迎えることなく休校(休校っていうのかな?)が続き、今はオンライン授業がはじまっています。

いやいや言いながらも大学に通い続けた自分もこの4月で4回生となりました。びっくりです。まさか小中校と不登校になって引きこもってきた自分が4年生になるまで大学に通っているとは思いもしませんでした。

そんなこんなで今は就活中でもあります。

就活は、とても辛いです。自分の過去を見つめ直せば見つめ直すほど、他人に言えるような頑張った出来事はないしやり遂げたこともない。不登校でコンビニにも行けない引きこもりから大学に入学し3年も通うことができました、というのが本当に自分が頑張ったことなんですが、これは社会で働く人からすると頑張ったことには入らないんです。自分にとっては+100、+1000にも感じられる「できた!」でも、世の中では-から0になっただけなんです。悔しいね。

閑話休題

自分はとにかく緊張がすごくて、新しい環境での不安、というよりも日常で人と関わる際の不安が強いです。今は改善されているけど、人と一緒に食事ができないとか、人が多いところを歩けないとか、バスや電車に乗れないとか。社交不安障害というものなのですが、自分の場合は緊張を表に出さない、隠そうとしているようで、周りからは緊張してるね、大丈夫?なんて気にされたりすることは今までに一度もありません。でも、自分のなかでは不安で心臓がばくばくなったり、手足が震えたり、緊張で吐き気がしたりお腹が痛くなったりします。いっそ倒れられたらどんなに楽か。緊張する前日には人生終わらせたいなんて思うことも度々あります。今でもあります。

思えば、最初の最初は、小学校4年生のときに発表で当てられて「ちゃんと答えられるかな」「声が出せるかな」ともやもやを感じたことがはじまりです。それから、毎朝の出席で声を出すことへの不安が加わり、ほどなく周りの同年代の子が自分の一挙手一投足を見ていて笑っているんじゃないかに変わり、小学生6年生になると朝起きることがこわくなりました。朝に起き上がりにくくなった理由には、起立性調節障害という低血圧の体調不良も加味されているのですが、当時スマホやパソコンなんかも使わなかった自分にはなにもわからず、とにかく生きた心地のしない毎日でした。いじめがある教室に通うしかなくて、休むという選択がなかったんですね。だから学校をやめるように、登校拒否をするしかありませんでした。

それから中学高校になり、カウンセリングやらスマホで同じような方を見つけるやらで、なんとなく自分の状態を知っていき、休むということが自分からできるようになりました。自分のしんどい具合がわかってきたり。

振り返ると、しんどいときには休めばいい休めばいいなんて私もこの日記でかなり言っていますが、休むって簡単じゃないですよね。すごく力を使うことですよね。本当にしんどいときには、休むなんてことも考えられないと思います。

そんなこんなで大学生になり、毎朝起きて、夕方~夜に帰って、と人波に沿った生活を3年間送ってきました。溶け込んでいる、といえば淀みがない生活のようですが、感覚としては"擬態している"ような気持ちです。根っこの部分は引きこもりの自分となにも変わっちゃいないので、ふとした瞬間に俯瞰というか、自分だけ異物、みたいに感じることがあります。しかもなんというか、「自分がその場自体に違和感を感じる」のではなくて、「自分がその場にいることに違和感を感じる」んです。ひとりだけ浮いてるみたいな。そういう、あ、と思う瞬間がくると、どんなに周りと同じ生活を送っていようが自分の気持ちは不登校から抜け出せていないのかなあと感じます。これは時間により薄まる部分でもあるかもしれないのですが、やっぱり思春期あたりの環境って自分の根本をつくるなかででっかいですね。

閑話休題

今は、大学に通い、友達ができて、アルバイトをして、ライブ・舞台を観るために県外へ出掛けて、と、緊張は続きながらも好きなことが好きなようにできるようになりました。文字にすると一瞬だけど、こうして朝起きて、家の外に出て、人と話し、関わり、自分の話をする、ってところにくるまで、爆弾のような不安と緊張を抱えた自分が何度も勇気を出して挑戦して頑張ってくれたんです。頑張ってくれたけど、まだ頑張ってるし日常はしんどいです。

 

カウンセリングで話をしていると、自分がどうしてそこで外に出ようと思ったのか、人と関わる選択をしたのか、など、「どうして、どう思ってそれを行った・選んだのか」と先生が訊いてくださることがあります。これ、そのときの自分にとってはそれは最善だったとしか言いようがないのですが、自分だけではそのまま通りすぎてしまう「できた」を見つけるうえでとっても大切な振り返りになってます。なにかを選ぶとき、その結果が最高になろうと最悪になろうと、頑張ったことには変わりない、と思います。自分は今まで、その結果の方に重きを置いていたのが、年を重ねた今は「行ったこと自体」に重きを置けるようになってきたんですねおそらく。これにたどり着くまで、できないことばかりが印象に残っていたのですが、よくよく考えると自分もいろんなこと選んで頑張ってるじゃんと。

それで、自分ができたことをひたすら認めて誉めていってみようと、そんな気持ちで日記を書いていたわけです。

 

というわけで今回は自分を振り返り、見つめ直し、見つけ直し、治す回でした。

 

 

明日はですね、志望企業さんの面接があります。コロナで予定が延びて延びて延びた末での初めての面接です。

緊張でお腹がいたくて、今日は夕方ごろからそわそわしてまわりのことに手がつけられなくなってきました。こういうとこなかなか変わらないよね自分。

自分を振り返ることがこわくて、自己分析なんてできていません。学生時代に頑張ったことなんてもっての他。毎日大学に通って勉強することしか頑張ってないよ。家やカウンセリングで長いこと自分を見ていたから、悪いところや良いところはたくさん出てきますが、それを人に言えるかといわれれば躊躇してしまいます。社会に求められる人型にはまろう、はまらなきゃと思いながら、自分を落とす企業は自分には合わないだろうから別に落ちてもいいやと急になげやりになる瞬間もでてきます。毎日、気持ちだけは一丁前に忙しいです。こうした気持ちで向き合うことが失礼にあたるのでしょうが、こうして考えた末でしかまとまった答えが出せないので、今はその経過ということで。

 

あとひとつ、ずっと言いたかったことがありまして。この日記、昔から傾向として、平日のアクセス数に比べて土日のアクセス数が半分くらいなんです。アクセス数って言葉みて、個人がわかるのかなって驚かせてしまった方がいらっしゃったらすみません…!はてなブログのものは数字だけが出てて、誰がみてるとかは全然わからないようになってるので安心してください。

それでこのアクセス数が平日>土日に関して、もちろん毎回かはわからないしちゃんとみると法則なんてないのかもしれないんですけど、これ、昔に書いた不登校の記事を、いま頑張っている不登校保健室登校の学生さんがみてくださっているのかなとずっと気になっていまして。自分が不登校だったとき、平日は学校に行ってないって気持ちがあるから、不登校をどうにかしなきゃってずっと引け目を感じて緊張してるような状態で、同じ不登校の方のブログなんかをみていたんです。でも、土日は学校が休みだから引け目とかそういう気持ちもなくて、自分が不登校だってことを忘れることもできてたんですよ。平日にみてくださる人が多いのは、前の自分と同じ理由なのかなと。

だから、コロナでいろんな学校が長いお休みになって、親御さんのことを考えると大変だなと感じたりもしますが、それ以上に不登校の方々は、自分と同じようにほっとしてるんじゃないかなと考えたりしています。公認引きこもり期間みたいなね。学校への引け目を感じることなく、お家でゆっくりできていたらいいなと心から思います。みてくださっている方いらっしゃいましたら、本当にありがとうございます。不登校はしんどいですよね。しんどいけど、わかってくれる人がいないから、学校に行こうとしても行かないとしても頑張るしかないんですよね。もし好きなことがあったら、自分のことだけを考えて自分が楽しくて、好きなことをなんでもしてみてください。それが周りからの圧や、環境なんかでできないときには、どうか自分がいちばん楽な体勢でいてください。今は日本中の学生が家にいるから、ちょっとは気が楽だといいんですが…!!私も引きこもりを楽しんでいます。ああそうだ!明日の面接がんばってきます!失敗してもいいよね!