花と邂逅

小・中学校を不登校と保健室登校で過ごした自分を振り返ってみます。

     ▷  小・中学校を不登校と保健室登校で過ごした自分を振り返ってみます。社会不安障害、元・起立性調節障害です。

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□ 家族との関わり

 

今まで他人との関わりばっかりみてきて家族との関わりってそんなに考えたことなかったけど、いまの自分の性格って小学校で形成もあるけど根本的な部分は家族とか家での経験雰囲気で作られてきたのかなと感じます。同じ家で育ったきょうだいでも性格は全然違うし、元気に学校にも通ってるんですけど。

もともとの自分の気質というものもあるし、それに家族が合う、合わなかったというだけの話かもしれない。だけの話って書いたけど、実際にはそんなに軽い話ではないです。

 

で、何を思ったかというと、自分は不登校に対しての後ろめたさや負い目がすごくあるんですが、これ、学校に行きたくない、不登校になりたいと思ったときに、うちの家族は真面目だから、私がどうにかして行く方法を考えたんですよね。私になにかこじれた部分があって、そこをなおせばいいんじゃないか、私が頑張ればいいんじゃないかと。だから、学校に行かない=悪いことみたいな刷り込みがね。

でも私、とにかくしんどかったんです。カウンセリングなんてこわそうなところ行けなかったし、今の大学生の自分みたいに自身についても考えたことがなかったから、自分がどうしたいのか、なにができるのか、自分のどこがだめなのかもわからない。だから、一言「ささめはなにも悪くない。ゆっくり休んでいいよ」って言ってくれる人がいたらなにか変わっていたのかなと、今日のカウンセリングを終えてふと思いました。

今の自分が言われたら楽になる言葉だから、もしかしたら昔の自分だとなにも知らないくせにとか、言われたまんま永久に休もうとして学校への気持ちも全くなくなったかもしれないけど、それでも親の年齢に近づいてきたいま、不登校を全肯定するのもすごく難しいことだなと感じます。自分が不登校だったから、今日はいけそうとか、そういうこまかい揺れもわかるけど、これもし自分の子供だったら引っ張ってでも励ましてでも学校に行かせてしまいそうになる。先の見えない休憩を見守るというのは、私にはできないような気がします。でも将来の社会でのことを考えずに、ただ心の面だけを考えていいなら、なにも気にせずに、本人が不安に感じなくて安心できて明日も生きていけるなって思うまでいくらでも休んでほしい。ほんとうに、安心できるところにいてほしい。

学校に行きたくないなとはじめて感じてから学校に行きたくないと声に出すまでは、決して短い期間ではないと思っています。そのあいだ頑張り続けたんだから、それはものすごい忍耐力だと思います。当時の自分にも頑張ったねと伝えてあげたい。

よく考えると、カウンセリングなんかで自分を振り返る機会はありますが、なんでこの時こうしなかった、と自分を責めたことは一度もないです。よく頑張ってくれたとしか言えないです。ちなみに家族についても責めたりはない。なんでこれをしてくれなかったとかも感じないけど、こうしてくれて良かったありがとう、みたいなことも特には思い浮かばない。でも長年、家にこもって休憩することを受け入れてくれていたことにはとても感謝しています。自分が自分はこうしたいと伝えなかったから当たり前だけど。

家族との関わりは、これからの課題ではなくかわらないものだと割りきった方が楽かなあ。