花と邂逅

小・中学校を不登校と保健室登校で過ごした自分を振り返ってみます。

     ▷  小・中学校を不登校と保健室登校で過ごした自分を振り返ってみます。社会不安障害、元・起立性調節障害です。

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□ ははというもの

 

母と会話をすることが難しくなりました。何年か前から母はひとりの人だと感じるようになり、そのときに考え方はあんまり合わないなと思っていましたが、最近はよりいっそう。

話しかけてもスマホばかり見て顔も上げないし、反応も相槌のみ。疲れているんだなって思うようにしているし実際にそうなのですが、妹が話しかけると楽しそうに会話をします。おそらく、話の内容だとか声のトーンで受け入れる話を判別してて、深く考えないで済んだり自分の意見を求められない一方的な報告の「友達と○○したよ」「今日こんなことがあったよ」の話だとか、これをした!楽しかった!の楽しくはしゃいだ雰囲気のものは母も聞くことができるんじゃないかと。そういうふうに見ていて感じました。人の恋愛話とかね。妹は天真爛漫という言葉がぴったりの人だから、話で人を楽しくさせることがとてもうまいです。

対して自分は考える話が大好きです。「こんなことがあったよ」の終わった事実より「これはどんなことがあってこうなったのかな?」「こうなった結果について自分はこう考えたけど母はどう?こっちを選んでたらどうなる?」みたいな掘り下げた、まだ見ぬ可能性を想像する話が、人との間に起こった楽しい嬉しい出来事の報告よりもなによりも楽しいのです。人との関係についても「友達と遊んで楽しかった!この子やっぱり好き!」より、「友達がこのときこうしたの、そういう風に考えてて人が思いやれるところがあるから自分も一緒に居やすくて好きなの」というふうにしか話すことができません。それは自分の良さでもありますが、母には合わず、互いに重荷になるのです。

「友達とこんなことがあった、たいへん!母どうすればいい?」妹は自分についての話をできるのに、「こんなことがあって、そのとき自分はこう感じた、あとから良く考えたらそれはこうだったからだと思うんだけど、でも頑張れたと思う。母はどう思う?」自分の話は聞き入れてもらえない伝わらない。

意味を理解してもらえるもらえないの前に、話を聞いてもらえない。疲れた母は自分の声を話をそもそも聞こうとしない。受け入れないというよりも、受け付けていない。

 

話はかわりますが、自分は心理カウンセリングに中学時代から通っています。高校、大学に進むにつれ相談場所も先生も何度か変わり、現在も含めると計5人の先生にお世話になりました。その過程で2度、2人の先生より、もうカウンセリングは必要ないねと言われたことがあります。面談のなかでいきなりです。先生のなかでは徐々にであっても、自分にとっては死刑宣告のように唐突でした。

ひとりで社会に、知らない場所に放り出されたような気持ちになりました。緊張しながらもいろんなことができるようになった、という自分の状態が良くなったことでそう伝えられたのだとはわかりますが、自分には自分の考えをまとめられる、受け入れてもらえる場がないのです。外で緊張したことを家に持ち帰り落ち着いて考え、どうして緊張したのか、次はどうすればいいのか、これを長年ひとりで抱えるのはとても苦しいことです。だから、他の人はこういうときどう思うのかな、自分は頑張れたのかなって確認する吐き出し場が定期的に必要だけど、母には重く深いからしんどいと受け取ってもらうことができないため、家で発散することはできず、結果カウンセリングの場でしか自分の根本についての話をすることができません。これはいくら仲の良い友達といえど、きょうだいと言えどもできない話です。

やはり、自分には吐き出す場所が必要なのです。家でそれが望めないから始めたこのブログだったりカウンセリングだったりですが、それらのおかげでなんとか今も壊れずにいられている気がします。

最後に、母は悪い人ではありません、弱いけど、ひとりで娘を育てているとても強い人です。自分は母みたいにすごい人にはなれません。それでも母と自分は家族であれど他の人であり別の人間なので、自分のことは自分で支えるしかないのです。

また要領の得ない話になりましたが、なんとなくでも伝わることがあって、わかる人がいらっしゃいますと嬉しいです。