花と邂逅

小・中学校を不登校と保健室登校で過ごした自分を振り返ってみます。

     ▷  小・中学校を不登校と保健室登校で過ごした自分を振り返ってみます。社会不安障害、元・起立性調節障害です。

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□ ものの考え

 

疲れると、やめるということがとても難しくなる。考えが狭まって、すべてを終わらせることしか手段がないように思えてくる。

すごく嫌なことがあった。これがあと数日続く。心細くて不安で嫌すぎて家で大泣きしながらもう行きたくないと思ったときに、嫌なところに行きたくない→ここに行かないと大学で困ることになる→なら大学をやめるしかない→大学やめたら困るじゃんやめられない→死ぬしかない、という考えが頭のなかで元からあるべき流れのように違和感なく淀みなく繋がった。1秒足らずでこの結論にたどり着いた。

疲れたときはよくない。人に悩みや愚痴を話せるうちはまだ元気が気力が、というよりも生きる余力があるのだと思う。昨夜の自分は人とものを話せず、人の話に相づちをうつこともできない笑えない、集中ができずに相手がなにをいっているのかわからない、とにかく、死にたいどうこうよりも人の形を保つだけで精一杯だったように思う。

生きているだけで場所をとるしお金はかかる。望んでいないのにどうしてここまで頑張りながら生きなければならないのかと思う。最近、ただただ生きていることに疑問がわいてくることが多くなった。生きる気力がないのに生きててもなって感じ。なんで生きてるのかって本当に疑問に思うだけで、死にたいなあとか深い意味はないけど人とは話辛い話題だから、答えがみつかることはない。

閑話休題

ともかく、疲れると正常な判断ができなくなることを実感した。ブラック企業で働き詰めになって、会社を辞めるのではなく自殺を選ぶ方の気持ちがよくわかった。気持ちがわかるというよりも、選択肢がそれしかないという感じで当たり前のように死を選んだような感覚だった。

「むしゃくしゃしてやった」もこれに当てはまるのかもしれないと思った。

 

自分の人生に目標が見いだせないだけでこんなに生き辛く疲れるなんぞ不公平なものだと思うよなあ。ほんとう休息は大切だよ。